ちょむすけ

強くなれ

煙草

煙草とは何でしょうか。嗜好品、発がん性物質、薬物など個人によって見方は違うでしょう。

 

次に、あなたは煙草が好きでしょうか。今の世の中、好きと答える人は少数派です。そんなもんだから、喫煙者は肩身の狭い思いをして喫煙するわけです。一昔前は好まれていたのに、時代が変われば手のひら返され、忌み嫌われている。

 

可哀想な有機物です。

 

私は喫煙者です。煙草に命を捧げ、例え風邪で喉が痛くても喫煙するほどの依存者です。実際、喉は痛いです。それでも喫煙する理由を考えてみました。2つ理由があります。

 

1つ目は、自分がニコチンに依存しており、脳が煙草を求めていることです。これだけなら禁煙外来にでも行ってしまえばいい話です。他に理由がなく、本当にやめたいのであれば禁煙できるはずです。私が禁煙できない本質的な問題は、これから述べる理由にあります。

 

2つ目、それは自傷行為に対する背徳感がたまらなく好きであることです。自分の命を削ること、また、忌み嫌われる喫煙者であることに快感を覚えてしまいました。心が弱いんです。こうでもしないと、ありふれた日常の中に埋もれ、存在意義を無くしたつまらない人間になってしまいそうで。生きている意味を、命を削ってでもいいから確かめていたい。それでもいいだろう?

 

煙草は宗教です。他宗教の信者だって、存在意義を、生きる道標を何かに求めているのでしょう?それなら私の信じる宗教は、命を削るような危ないものかもしれないけれど、立派な宗教です。

 

 

 

はやくこの宗教から抜け出したい。私は煙草が嫌いだ。しかし、洗脳され続けた私の脳は言うことを聞かない。この先も喫煙者であり続けるだろう。これが、薬物に手を染めた弱虫の全てだ。少しでも早く、この宗教から、この世界から解放されたい。煙草と共に心中する日を、私は煙草を吸いながら待ち続けている。